淡路島は、南北約40km、東西約20kmで約300平方kmの面積をもつ島です。その大きさはシンガポールと大体同じですが、淡路島の人口約15万人です。この島の西海岸のほぼ中央に位置する一宮地区は国生みの神話で知られていますが、「香り」のルーツとしても有名です。
アロマミュージアム パルシェ香りの館
アロマミュージアム
「パルシェ」
一宮地区でのお線香づくりは、全国生産の約70%のシェアを占めており、地区内には線香事業所や下請け業者が多数並び、お香の香りが生活の香りとして漂っています。このエリアでは4人に1人が線香に関っており、町並みを歩くと、どこからともなく良い香りが漂ってきます。また、線香産業を核にした総合計画を展開しており、香りをテーマにした「パルシェ香りの館」は、150種類のハーブを植裁する香りのテーマパークとして整備されており、香りだけでなく見た目にも美しい香草や香木を楽しみながらゆっくりとした時間を過ごせ、楽しく香りを学ぶことができます。
2001年、一宮エリアは環境省選定の「香り風景100選」にも選ばれました。日本国内の様々な香りにゆかりのある土地を紹介した書籍「訪ねてみたい 日本・かおり風景100選」には一宮地区についても紹介されています。
「グラース市との香りの文化交流」淡路市旧一宮町
平成4年 9月30日調印
グラース市はフランス・コートダジュール地方の主要都市であり、もともとは手袋等の皮製品の生産が盛んであったが16世紀に香りをしみこませた手袋が大流行したため香水の生産を始めたのがはじまりで今では世界の天然香水の約7割が生産されている。パルシェ香りの館での一角にグラース市のコーナーを設けて香水等の展示紹介をしている。
神秘的な言い伝えの残る伊弉諾(イザナギ)神宮
伊弉諾神宮
淡路島は国生みの神話が残っていることでも有名です。「古事記」・「日本書記」によると、 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冊尊(いざなみのみこと)の二神は天津神より「天の沼矛(ぬほこ)」を授かり、「この漂っている国土をあるべき姿に整え、固めなさい」という命を受けます。二神は「天の浮橋」に立ち、その矛を海にさしかきまわします。 それを海から引き上げたとき、矛先から滴り落ちた滴が固まり「おのころ島」という一つの島ができたと言われています。 このおのころ島が現在の淡路島です。
この島に降り立った二神は夫婦の契りを交わし、淡路島に続いて四国・隠岐島・九州・壱岐・対馬・佐渡、そして最後に本州を生んだと言われています。
そして、国生みを終えた伊弉諾尊と伊弉冊尊が国家統治を子どもの天照大神(あまてらすおおみかみ)にまかせ、「幽宮(かくりのみや)」を構えて余生を過ごしたのもここ淡路島とされています。
香木伝来記念碑 (伊弉諾神宮境内)
香木伝来記念碑
また、神宮境内には香木伝来を記念して建てられた石碑が建てられています。日本書記には「推古天皇三年夏四月淡路島に沈水(ぢん)という香木が初めて漂着した。島人がそれをかまどに入れて薪とともに燃やしたところその煙が遠くまで香りが届き、そのことを不思議に思った島人は朝廷にこの木を献上した。」と香木が初めて淡路の地に伝来した旨が記されていることから、香木伝来から1400年経った平成七年に香り文化の更なる発展を願って建てられてものです。
枯木神社
枯木神社
香木が初めて登場するのは日本書紀。推古天皇3年(595年)夏4月、沈水淡路島に漂えり・・・と記されています。淡路島にひと抱えもある香木が漂着し、島民がその木を焼くと良い香りが辺り一面に広がった。その香木は朝廷に献上され、聖徳太子が観音像を作ったとされています。今も淡路島ではその香木(沈香木)をご神体として枯木神社に祭られています。